不祥事によりライオンズを去ることになってしまった平尾博司コーチ

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2001年5月にライオンズにやって来た平尾博嗣選手

まさかこんな記事を書かなくてはならない日が来るなんて、まったく想像していなかった。まだ平尾博嗣選手(現・博司)が現役だった頃、筆者は背番号8のレプリカユニフォームを着て、よく西武ドームで観戦をしていた。筆者は彼の大ファンだった。大怪我をし、一度は再起不能とも言われた状態から不屈の精神で蘇り、西武ドームのグラウンドに戻ってきた平尾選手。それ以来筆者は彼の大ファンだった。

大宮東高校では68本塁打を放ち、93年のセンバツでは準優勝を果たし、その後ドラフト2位指名で阪神タイガースに入団した。そして2001年の5月にトレードによってライオンズにやって来るのだが、その後の人気振りは今更語る必要もないだろう。決してレギュラーに定着したわけではなかったが、試合終盤に平尾選手が代打で登場すると、西武ドームのボルテージは一気に上がった。「人気者」という名に相応しい選手だった。

かつての人気者が起こしてしまったまさかの不祥事

2012年を限りに現役を退くと、その後はテレビ埼玉のライオンズチャンネルで活躍したり、ライオンズアカデミーで子どもたちの指導に当たっていた。そしてその人望や明るさが買われ、2019年から2軍打撃コーチを務めるようになっていた。親しみやすい兄貴分として、平尾コーチは選手たちからも慕われていた。いつかは元木大介コーチのような、意外性のある名コーチになるのでは、とも期待されていたのだが、しかし平尾コーチは2020年10月31日をもって、ライオンズを去ることになってしまった。

2020年10月16日、2軍の選手ふたりが私物がなくなっていることに気づき、球団スタッフに警察への被害届提出に関する相談をしていた。そこで発覚したのが、その犯人が平尾コーチだったという事実だった。これにはファンのみならず、平尾コーチを慕って汗を流していた選手たちも大きく落胆したはずだ。人として、若い選手たちの手本とならなければいけないコーチが起こしてしまったまさかの不祥事。

被害に遭った選手は最終的には被害届は出さない形にしたようだが、しかし選手たちの心に残った傷は決して小さくはない。プロ野球という厳しい世界で、信頼できるはずだった人に裏切られてしまったのだから。平尾コーチがどのような心境で選手たちの私物に手をかけてしまったのかはわからない。もしかしたら無断で借りただけ、という軽い意識だったのかもしれない。だが選手の受け取り方は決してそうではない。

ファンの思い出に泥を塗ってしまった平尾コーチ

プロ野球のコーチの年俸は決して安くはない。2軍コーチと言えども、一般的な同年代のサラリーマンの年収よりは多い。決してお金に困っての犯行ではないというのは確かなのではないだろうか。やはりかつてのニックネーム「チャラ尾」のノリで、軽い感じで無断で手を伸ばしてしまったというのが結局のところなのかもしれない。だが被害を受けた側が「盗まれた」と感じたのであれば、それは立派な窃盗罪となる。平尾コーチとしては、被害届が提出されなかっただけありがたく思わなければならない。

それにしても、本当に残念でならない。ここで必要以上に平尾コーチを責めるようなことはしない。そんな必要はないと思うからだ。だがとにかく残念という気持ちが強い。背番号8のレプリカユニフォームを着て応援していた頃の良き思い出に、泥を塗られてしまったような心境だ。だが平尾コーチの野球人生がここで終わってしまったわけではない。しっかりと行動で償い、心を入れ替えたということを姿勢で示せば、いつかきっとまた、ライオンズがチャンスを与えてくれるはずだ。もしくはその明るい人柄を生かし、大宮あたりで西武ファンが集まる飲食店をやるのも良いのではないだろうか。

⚾️ 筆者:Kaz@Twitter

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