デーブ大久保コーチのようになれるであろう熊代聖人コーチのポテンシャル

  • 投稿日:
  • カテゴリ:

松井稼頭央監督の下でこそ見てみたかった熊代聖人選手

熊代聖人コーチ就任

ついに熊代聖人選手にも戦力外通告を行われてしまった。冷静に数字だけを見ればあと2〜3年早く戦力外になっていても不思議ではない選手ではあったが、しかし熊代選手は打撃成績の数字以上にチームに貢献できる選手だった。小技をしっかりと決めることができるし、守備に関してはバッテリー以外はどこでも守ることができた(緊急事態時には捕手待機をしたこともある)。まさに究極のユーティリティープレイヤー、それが熊代聖人選手だった。

そしてそれと同時にチームのムードメイカーでもあり、熊代選手がベンチにいるのといないのとでは、ライオンズベンチの雰囲気はまったく異なっていた。劣勢であっても熊代選手がベンチを盛り上げてくれることで、何となく逆転しそうな雰囲気になっていく。そして実際にライオンズが試合をひっくり返してモノにしたことも数知れない。

現役生活の12年間で、2017年以外はすべてのシーズンで1軍での出場記録がある。レギュラーになることはできなかったが、しかし熊代選手のようにどこでも守れる選手がいることにより、ベンチも大胆な代打策を用いることができた。12年間での通算打率は.225でしかなく、規定打席に到達したこともない。だが熊代選手のようなバックアップ要員はチームに必ず一人は必要だと思う。

実際松井稼頭央監督も一部の選手にはユーティリティー性を求めており、秋季練習では鈴木将平外野手が一塁手として練習をしたり、山野辺翔内野手が外野を練習する姿を見せている。このようなスタイルはまさに熊代選手にうってつけだったわけだが、しかし33歳という年齢になり、これ以上の伸び代は望めないというところでのお役御免となった。そしてさらには若手ユーティリティープレイヤーが育ってきたことも影響したと思う。

もし熊代選手があと5歳若ければ、松井稼頭央監督の野球観に誰よりもフィットし、もう少し活躍の場を得られていたかも知れない。しかし熊代選手を最後に、これで2010年のドラフト指名選手はすべてライオンズを去ることになり、現役として残っているのもカープの秋山翔吾選手のみとなってしまった。

2010年のドラフト6位指名でライオンズ入りした熊代聖人選手

2010年のドラフトと言えば、大石達也投手が6球団から指名を受けて、渡辺久信監督が見事交渉権を引き当てたドラフト会議だった。これは筆者もテレビ観戦していたのだが、渡辺久信監督は前年にも6球団競合で菊池雄星投手の交渉権を引き当てていただけに、まさか2年連続で6球団競合から交渉権を引き当てるとは、筆者も夢にも思っていなかった。

その2010年のドラフトでは1位大石達也投手、2位牧田和久投手、3位秋山翔吾選手、4位前川恭平投手、5位林崎遼選手、6位熊代聖人選手の6人が指名されていた。ちなみにこの年のドラフトで、西武球団は榎田大樹投手を1位指名する可能性も高かったのだが、最終的には大石投手を1位指名し、榎田投手は大石投手の交渉権を外したタイガースに外れ1位として入団した。そしてその8年後に榎田投手はトレードでライオンズにやってくることになるのだが、引退した現在もバイオメカニクス担当としてライオンズで活躍している。縁というものは本当に面白いなと思う。

2010年に指名した6人中2人がメジャーリーガーとなり、熊代聖人選手も12年間現役を続けてきたのだが、ライオンズのスカウティング力がいかに高かったかがよく分かる。ちなみに大石投手は長年肩痛に苦しみ思うようなピッチングはできなかったが、それでもしばらくの間はリリーバーとしてインパクトのある活躍を見せてくれた。

そして前川投手と林崎選手は戦力外通告を受けたのち、G.G.佐藤選手の実父が経営する千葉県市川市にあるトラバースに就職をしている。トラバースのグラウンドは市川市の川沿いにあるのだが、筆者も何度かジョギング中に立ち寄ってはトラバースの練習を外から見学したことがある。林崎選手らはそのチームで今もプレーを続けており、ずいぶん活躍しているようだ。

熊澤とおるコーチのような一流になってもらいたい熊代聖人コーチ

戦力外通告を受けた数日後、ライオンズは熊代聖人選手の2軍外野守備走塁コーチへの就任を発表した。このコーチ起用はとても良かったと思う。熊代コーチのように元気があるコーチがいれば、ライオンズの2軍選手たちも元気よく明るくポジティブな気持ちで辛い練習に励むことができるだろう。

熊代コーチは良いコーチになると思う。メジャーリーグにはこのような諺がある。「できる者はやれ、できぬ者は教えよ」。アメリカでは名選手=名指導者という見方をすることはほとんどない。選手と監督・コーチというものはまったく別次元の職業として捉えられている。そのためメジャーリーグには女性のグラウンドコーチがすでに誕生しているし、マイナーリーグでは女性監督も誕生している。

日本の野球界では指導者に野球歴を求めることが多い。例えば少年野球のボランティアコーチの話を聞いていても、中学野球経験者か、高校野球経験者かによってマウントされることが多いと言う。しかし実際のところでは筆者はプロ野球選手のサポートもするプロコーチであるわけだが、筆者自身は高校の入学式の前日に野球肩を発症してしまい、高校野球を経験することはできなかった。

怪我をしてボールを投げられなくなり筆者は野球科学やスポーツ医学などの勉強を始めたわけだが、野球をやることと、野球を教えることはまったく別物であることを痛感した。そのため怪我によりまともな野球経験がない筆者であっても、努力次第ではプロコーチになれるのだと勇気を得たものだった。

熊代コーチは、プロ野球選手としてはお世辞にも一流とは呼べない選手だった。だがその熊代コーチの強みは、ベンチで野球を見ることで多くのことを学んだ経験値だ。主力選手たちが見ることができる範囲は限られている。自分が良い成績を残すために必要なものを中心に見なければならない。だがレギュラーではない選手はベンチから野球を全体的に見ていくことができ、この経験がコーチになった時に非常に強く物を言うようになる。

例えばこれは熊澤とおるコーチにもまったく同じことが言える。筆者がコーチとして最も尊敬するコーチである熊澤コーチのライオンズでの現役時代は、まったく華のあるものではなかった。だがそれにより熊澤コーチはたくさんのことを学ぶことができ、現役時代から困った時には先輩選手も熊澤選手に相談するということもあったと言う。

熊代コーチにはぜひとも熊澤コーチのような名コーチになってもらいたいのだが、しかしノックをする姿を見ているとまだまだコーチ業は様にはなっていないようだ。いや、それはもちろんそうだろう、コーチになったばかりなのだから。

筆者はプロコーチになった頃、当時ライオンズで指導されていた鈴木康友コーチにノックの打ち方を伝授してもらった。そして練習に練習を重ね、筆者はホームプレートからノックを打ち、かなりの確率で打球を正確に二塁ベースにぶつけられるようになった。そしてギリギリ野手が追いつけるところに的確にノックを打ったり、外野フライや内野ゴロにイレギュラーをかけたり、キャッチャーフライもかなりのスピンをかけて打てるようになった。ちなみに愛用しているノックバットはWINDOMのトルピード89という木製のカーボナイズドノックバットなのだが、まったく折れる気配がない。もしノックバットをお探しの方がいれば、硬式でも軟式でもこのバットは強くお薦めすることができる。

まだまだノックの腕前は二流の熊代聖人コーチ

正確に強烈な打球をノックバットで繰り出すには、一歩歩きながらテイクバックを深くする必要がある。熊代選手は今はまだ左手でトスを上げてノックを打っているのだが、これでは良いノッカーにはなれない。恐らくホームプレートからフェンスギリギリまで打球を飛ばすことも難しいはずだ。熊代コーチが今後名コーチになっていくためには、まずはノックの腕を磨く必要があるだろう。

右手で打ちたい方向にトスを上げ、腕をクロスさせるようにして左腕でテイクバックし、一歩歩きながら打つ。これが正しいノックの打ち方だ。この打ち方をすることによってノックで外野フェンスにぶつけられるような長距離を打つことも、打球に強烈なスピンをかけることも可能になる。しかし現在の熊代コーチのノックの打ち方ではテイクバックが最大限に深くならないし、一歩歩きながら打つこともやりにくい。そのため打球の飛距離を伸ばせず、打球に最大限のスピンもかけることもできない。

投手が投げるボールを打った打者の打球というのは、さまざまなスピンがかかっているケースが多い。外野手にとってのライン際であれば打球にスライスがかかっていることも多く、ファールエリアに流れながら飛んで来る飛球も多い。そのような生きた打球に近い打球をノックで打つためにも、熊代コーチは右手でトスを上げるフォームを身につける必要があるだろう。

鈴木康友コーチも内野守備走塁コーチになりたての頃は、チーム練習を終えた後に一人黙々とノックを打つ練習に励んだと仰っていた。それに倣い筆者も黙々とノックを打つ練習をして一流のノック技術を身につけた。筆者でさえも努力するだけでそれを身につけられたのだから、熊代コーチであれば筆者よりも遥かに短い時間で一流のノック技術を身につけられるはずだ。

ちなみに鈴木靖友コーチの場合、コーチになり立てた時にノックを打たなければならない相手が石毛宏典選手や辻発彦選手ら名手ばかりだった。そのため絶対に下手なノックを打つことなどできず、現役時代のバッティング練習よりも真剣にノックの特訓をしたと、笑いながらそんな話を聞かせてくれた。

デーブ大久保コーチと熊澤とおるコーチの両方の良さを兼ね揃える熊代聖人コーチ

コーチの誰もが熊代コーチのように元気一杯では、それもそれで困るわけだが、しかし数多い冷静沈着なコーチ陣の中に一人くらいは、熊代コーチのように元気一杯のコーチも必要だと思う。例えば2008年は打撃コーチとしてベンチを大いに盛り上げてくれたデーブ大久保コーチのように。

熊代コーチはデーブコーチのような明るさと、熊澤コーチのような野球を見てきた経験の両方がある。そしてこのお二方、デーブコーチと熊澤コーチは本当に研究熱心なコーチだ。だからこそ筆者もプロコーチとしてこのお二方を尊敬しているわけなのだが、熊代コーチにも彼らのような研究熱心なコーチになっていってもらいたい。

熊代コーチが彼らのように野球物理学という観点からコーチングスキルを学んでいけば、必ずチームを優勝に導ける一流コーチになれるはずだ。そしてしばらくの間は2軍でコーチ修行に積み、数年後には外野守備走塁コーチとして再び1軍のベンチを盛り上げに戻ってきて欲しい。

筆者はプロコーチであるわけだが、どちらかと言えばコーディネイター色の強い技術者で、熊代コーチのようにムードメイカーになることは絶対にできない。そして他のコーチであってもやはり熊代コーチのような強みを持っているコーチは少ない。つまり熊代コーチにはすでに、他のコーチにはない強みがあり、これは熊代コーチがコーチ修行を終えた後、本当に大きな強みとなっていくはずだ。

筆者の記憶に色濃く残る熊代聖人選手のお茶目なエピソード

熊代聖人選手は普段はずっと坊主頭だった。おそらくこれは現役12年間の大半の期間はそうだったのではないだろうか。この髪型について筆者の記憶によく残っているエピソードがある。それは熊代選手の結婚式でのことだった。もちろん筆者は参列したわけではなく、人伝に聞いただけなのだが、熊代選手は結婚式の写真を坊主頭で残したくなかったらしい。そのため普段は坊主頭なのだが、シーズンを終えるとすぐに髪を伸ばし始め、結婚式には少し長くなった髪で登壇したらしい。

この微笑ましいエピソードは、筆者は初めて聞いた時からずっと記憶に色濃く残っている。その後スポーツ紙で紹介された結婚披露宴の写真を拝見すると、確かに坊主頭ではなかった。このお茶目なエピソードを聞き、筆者はさらに熊代選手を好きになったものだった。

きっと熊代コーチは今後、赤田将吾コーチのように長年かけて丁寧に育成されていくコーチの一人となるのだろう。戦力外通告を受けた直後でのコーチ就任だけあり、コーチとしてのポテンシャルは渡辺久信GMからもかなり期待されているのだと思う。そして筆者も熊代コーチはきっと素晴らしいコーチになるだろうと思っている。

熊代選手、12年間の現役生活本当にお疲れ様でした。今までは選手として、そしてこれからはコーチとしてずっとライオンズベンチを盛り上げ続けてください。そして近い将来、また1軍ベンチに戻ってきてください。

⚾️ 筆者:Kaz@Twitter

THE埼玉西武ライオンズガゼット