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今はとにかく心身共に健康を取り戻してもらいたい清原和博氏

松坂大輔

将来的にもう一度ライオンズのユニフォームを着なければならない人と言えば、やはり松坂大輔氏と清原和博氏のふたりだと思う。このふたりにはやはり、近い将来もう一度ライオンズのユニフォームを着てもらいたい。

清原和博氏と言えば、誰もが知る黄金時代の四番打者だ。主要タイトルには縁はなかったが、しかし自らを犠牲にしてチームを勝利に導く姿は、今のライオンズの選手たちは本当に見習うべきものだと思う。黄金時代の清原選手は、まさに真の四番打者と呼ぶに相応しい選手だった。

だが引退後には大きな問題を起こしてしまい、清原氏はNPBには戻って来られない状況になってしまった。だが清原氏はそれに関しては今も苦しい治療を続けていると言うし、もう十分に禊いでいるとも思う。あとは心身共にしっかりと健康を取り戻すことができたら、西武球団にはぜひ清原氏に最後のチャンスを与えてあげて欲しい。

日本一になった頃、渡辺久信監督は引退を表明したばかりの清原選手に対し「指導者になる前に一度外に出ろ」という言葉を残している。これはユニフォームを着ていては経験できないことを経験し、知見を深めてから指導者になった方が良いという意味合いだった。だが清原氏は引退後、どんどん道を逸れて行ってしまう。

だがそれも家族を失いかけたことで自らを取り戻し、今は全身全霊をかけて更生に挑んでいる。この挑戦への道のりは本当に長いものになると思うし、そして外からでは想像もできないほど辛いとも思う。だが清原氏はそれだけのことをしてしまったわけであり、それは本人も十分承知されているはずだ。

引退後の清原氏はとてもじゃないがまともな人間には見えず、野球ファンの心はどんどんかつてのスター選手から離れて行ってしまった。見た目にしても爽やかさなどまるでなく、まるで任侠映画の登場人物のようだった。だが清原氏にはそんな姿になっても気遣い続けてくれる桑田真澄氏、佐々木主浩氏というふたりの親友がいた。清原氏にタトゥーの除去を強く求めたのは佐々木氏だとも言われている。

桑田氏に関しては頻繁に清原氏に連絡を入れていたらしいのだが、それを煩わしく感じた当時の清原氏は、そんな桑田氏を遠ざけるようになってしまった。そしてこの過ちが清原氏の道をさらに逸らすことになってしまう。

だが最終的には清原氏も心を入れ替えて、今は治療に苦心しながらも野球界への恩返しに取り組んでいる。だがまだまだ健康を取り戻したと言える段階ではないため、現時点では西武球団も清原氏を招聘することはできない。

それでも健康を取り戻したという医者のお墨付きさえもらえれば、清原氏にはライオンズの3軍育成コーチなど、本当に若い選手を相手にして日々汗を流すところから始めるのが最善だ。そして一昔前に呼ばれていた「番長」のイメージなど完全に払拭し、プロ2年目の日本シリーズで涙を流したあの時のような心を取り戻し、また爽やかな笑顔でライオンズのユニフォームを纏ってもらいたい。

百戦錬磨と呼ぶに相応しく酸いも甘いも知り尽くす松坂大輔氏

松坂大輔氏に関しても、いつかはライオンズのユニフォームを着て指導者をしたいという希望を持っているようだ。引退してからの2年間はユニフォームを着ないという選択をしたわけだが、しかし一年後のオフにはぜひ再びライオンズのユニフォームを着るという選択をして欲しい。

松坂投手は中学時代は主に江戸川区のグラウンドでプレーしていたのだが、筆者は松坂投手よりも2学年上で、同じ場所の違うチームでプレーをしていた。そのため松坂投手のことは彼が中学生だった頃からそのプレーを見続けている。筆者の記憶が正しければ中学時代の松坂投手はぽっちゃり体型で、確かアンパンマンと呼ばれていた。

その松坂投手が名門横浜高校へと進学し、高卒後はライオンズにやって来た。ファンとしては非常に嬉しい瞬間だった。この松坂氏もやはり、清原氏同様再びライオンズのユニフォームを着なければならない一人だ。

松坂投手は現役時代、酸いも甘いもすべてを経験したまさに百戦錬磨の大投手だ。残念ながらライオンズでリーグ優勝からの日本一を達成することはできなかったが(2004年はリーグ2位からの日本一)、しかしレッドソックスとWBC日本代表として世界一を経験した。だがその後は怪我に泣かされるシーズンが続くことになる。

その怪我については筆者はかなり早くから予測してずっと周囲にも話していたのだが、松坂投手の怪我の原因は何と言っても股関節の硬さだった。硬いと言ってももちろん一般人にとっての硬さではなく、アスリートとしては硬いというレベルだ。これは恐らく筋肉そのものの柔軟性の乏しさではなく、可動性がやや低い形状の股関節を先天的に持っていたためだと思われる。

それもあり松坂投手はメジャー時代は、日本にはほとんど存在しない股関節専門のトレーニングジムにも通っていた。だが期待以上の効果は得られなかったのだろうか、途中から松坂投手は股関節をそれまで以上に上手く使うことよりも、インステップにしてあえて使わない投げ方を選んでしまった。

筆者は野球の動作改善の専門家であるわけだが、実は野球肩やイップスになってしまう選手の95%以上がその大小は問わず、インステップになっているのだ。つまり松坂投手は何らかの目的を持ち、あえて肩に大きな負荷がかかるインステップというモーションを選んだということだ。だが松坂投手がそのデメリットについて把握していたのかどうかは筆者には分からない。

このように松坂投手は世界一も経験したし、怪我に苦しむという経験もしている。これだけ振り幅の大きな経験をしている選手などそういるものではない。そういう意味では人望もある松坂大輔氏は、選手のことをしっかりと理解してあげられるとても有能な指導者になれると思う。

そしていつかは背番号18を背負って、ライオンズの監督として指揮を揮う日もやってくるのだろう。ライオンズファンとしてはついついそんな日を夢見てしまう。

すでに松井稼頭央監督の次の監督の育成を始めている渡辺久信GM

来季2023年からは、いよいよ松井稼頭央監督の新政権が船出していく。これは今まで以上にライオンズが強くなる可能性を秘めている中でも、渡辺久信GMの頭の中はすでに、松井稼頭央監督の次の監督の育成にシフトしているはずだ。

その候補の一人として間違いなく挙げられるのが松坂大輔氏だ。だが渡辺GMは他球団のように、いきなり松坂氏に監督をさせるようなことは絶対にしないはずだ。まずは2軍投手コーチあたりから始めさせ、2軍監督や1軍ヘッドコーチを経て、しっかりと指導者として十分な経験を積ませてから監督を任せるはずだ。

そして現時点ではすでに西口文也2軍監督を将来の1軍監督候補ともしているため、このあたりは状況次第ということになるのだろう。ただし監督としてファンをベルーナドームに呼べるのは、全盛期に娘さんと西武遊園地に行っても誰にも気付かれなかった西口文也2軍監督よりも、どこに行っても華のある松坂大輔氏なのだと思う。

そのためもし近い将来に松坂大輔氏の指導者修行を始められるのであれば、将来的には松坂大輔監督、西口文也&豊田清投手コーチという姿が最も収まりやすいのではないだろうか。そしてその中に清原和博氏が好々爺として加わり、ファームからどんどん新鋭スラッガーを1軍に送り込んでくれれば、これ以上に楽しみなライオンズの姿もまた想像し難い。

そしてそんなドリームチームを実際に渡辺久信GMが構築できるようにするためにも、清原和博氏には今はとにかく心身共にしっかりと健康を取り戻す努力を続けてもらいたい。今は心身ともにまだまだ本当に辛いと思うのだが、しかしそれに見合うだけのことをしてしまったのだから仕方がない。だが真の四番打者清原和博ならば、必ずこの苦難をも乗り越えていくはずだ。

野球界にはその大小はともかく、現役中でも引退後でも社会的問題を引き起こす者が非常に多い。日本シリーズで活躍したレベルのライオンズの名左腕でもあっても、最近は詐欺まがいの金銭トラブルを報じられている。だが人間とは大なり小なり過ちは犯すものだ。だからこそ大事なのはその過ちをしっかりと反省して更生した者には、少なくとも一度のチャンスは与えてあげることだと思う。

清原和博氏ならば、いつかきっと指導者として松坂大輔氏を支えられるはずだ。だがそのためにもまずは心身の健康と謙虚さを取り戻し、派手な芸能関係者との交友も再開させず、PL学園時代のように再度野球だけに打ち込む覚悟を決めなければならない。だがそのような決断を下して実際に行動に移せるのであれば、清原和博氏はきっと素晴らしい指導者になってくれるはずだ。

そして筆者はそんな将来の将来を想像しながらも、今は松井稼頭央監督の船出を祝いシャンパンのボトルを船縁で割りたいと思っている。

松坂大輔・東尾修

多くの言葉は要らない松坂投手とイチロー選手の友情

1999年5月16日、筆者も西武ドームの一塁側スタンドにいた。もう22年も前の話だ。その日は西武ドームから溢れんばかりの観客が集結し、外周通路も立ち見客で文字通り溢れ返っていた。日本シリーズを何度も観戦しに行ったことはあったが、この5月16日ほどの満員御礼を、筆者は未だ経験したことがない。

西武ライオンズvsオリックスブルーウェーブ-。松坂大輔投手とイチロー選手が始めて対峙した瞬間だった。

結果は誰もがご存知のように3打席連続三振で、4打席目は四球というものだった。あのイチロー選手が高卒ルーキー相手に3打席連続三振を喫するなど、一体誰が予想しただろうか。

この日西武ドームで味わった興奮は、筆者はきっと一生忘れないだろう。この日西武ドームには一体どれくらいの観客がいたのだろう。4万人だろうか、それとも5万人だろうか。この場に居合わせた5万人のファンは筆者も含め、本当に果報者だったと思う。

もしかしたら筆者はもう二度と、これほどの興奮を野球場で味わうことはできないかもしれない。この試合はそれほどまでに筆者の中では強烈な印象として今も色鮮やかに残り続けている。

あの日グラウンドで対峙したふたりは、今は共にユニフォームを脱いでしまった。

だがその脱ぎ方は本当に対照的で、イチロー選手は「試合に出続ければまだメジャーで.270打てる」と、アメリカの辛口メディアに言わせながらユニフォームを脱ぎ、松坂投手はボロボロになり、もう投げられない状態まで野球を続けてからユニフォームを脱いだ。

ふたりとも、生き様が本当に格好良かった。

松坂投手とイチロー選手は敵として出会い良きライバルとなり、そして数年後はジャパンのユニフォームでチームメイトとなり、そして海を渡りメジャーリーグを舞台に鎬を削り合った。

こうなってくると筆者の中で膨らんでくる夢は、18番と51番をそれぞれ背負い、ライオンズとオリックスの監督としていつかパ・リーグを盛り上げてくれるふたりの姿だ。

あの日イチロー選手が3三振することを誰も予想できなかったように、2021年のファン感謝デーの日、誰がイチロー選手がメットライフドームに姿を現すことを予想しただろうか。

まるでLビジョンから飛び出して来たかのようにイチロー選手が突然姿を現すと、メットライフドームにはまるで悲鳴のような歓声が木霊した。

このふたりの間に多くの言葉は要らない。誰がも一瞬でそう理解できるほどに、イチロー選手は颯爽と登場し、また颯爽と去って行った。

だからこそ筆者も、ふたりについてはもうこれ以上ここでは語るまい。

正しかった東尾修監督の親心

東尾修監督はきっと登場するだろうと思っていた。だがそれでも実際に姿を見ると嬉しくなってしまう。あのようにマフラーを巻いて登場してくる姿は、監督時代と何ら変わりない。

東尾監督が語ったように、松坂投手は200勝のボールを東尾監督に返すことができなかった。約束を果たすことができなかった。

すると東尾監督は「必ずライオンズのユニフォームを着て戻って来い」と、松坂投手に新たな約束を迫った。松坂投手は大人のかわし方を見せたが、しかしファンの思いも東尾監督と同じだ。

何年後になるのかは分からない。だがいつか、松坂投手はライオンズの監督にならなければいけない人だ。そして東尾監督が監督としては果たせなかった日本一を果たし、そのウィニングボールを東尾監督のもとに届けて欲しい。

1999年、球団の意向を押し切ってまで松坂投手を東京ドームのファイターズ戦でデビューさせたのは東尾監督の親心だった。いきなり本拠地デビューさせるよりも、敵地でデビューさせた方がプレッシャーも小さくて済むという東尾監督の考えだった。

東尾監督は、このデビュー戦で片岡選手から三振を奪った1球こそが、松坂大輔投手の野球人生で一番良いボールだった語った。確かに、本当に伸び上がっていくような凄まじいボールだった。つまり、東尾監督の親心に間違いはなかったということだ。4月7日、松坂投手はプロ初登板初勝利を挙げた。

ライオンズに多くのレガシィを遺してくれた最後の2年間

松坂投手のプロ人生の後半は、まさに怪我との戦いだった。海の向こうから戻って来たあとも、ホークスで3年、ドラゴンズで2年、思うように投げることはできなかった。

それでも渡辺久信GMは2019年のオフにドラゴンズを退団した松坂投手がライオンズの戦力になると考え、2006年以来のライオンズのユニフォームに袖を通すことになった。

背番号は2年間16番を背負ったが、しかし最後の最後で18番が空き番号になると、2021年のシーズンも終わりを告げる頃、松坂投手の背番号が16番から18番に変更されることが発表された。

松坂投手のプロ野球人生はライオンズの背番号18のユニフォームで始まり、そしてまたライオンズの背番号18のユニフォームで閉じられた。

最後のライオンズのユニフォームでは結局打者1人にしか投げることはできなかったが、しかし百戦錬磨の経験値はライオンズの若手投手陣たちの大いなる財産となった。来年以降、松坂投手の金言を受け飛躍していく若獅子たちが増えていくのだろう。

ファンも、ライオンズもあなたの帰りを待っている!

1998年のドラフト会議の速報で、日本ハムの上田監督、横浜の権藤監督に挟まれながら、東尾監督は横浜高校松坂大輔投手との交渉権を得たカードを高々と掲げ破顔した。

松坂投手は横浜への入団を希望していたため、横浜以外で松坂投手を指名したのは西武と日本ハムだけだった。もし横浜志望を口にしていなければ、6球団以上が1位指名していたかもしれない。

その時の東尾監督の笑顔と、意中の球団に行けなくなった松坂投手の苦笑い。筆者は対照的だったこのふたりの表情もよく覚えている。

横浜ではなく、ライオンズに入って正解だったとは言わない。横浜に入っていても、日本ハムに入っていても、松坂投手ならば同じように活躍していたはずだ。

だがこれだけは言える。松坂投手が最終的にライオンズを選んだことは間違いではなかった、と。

松坂投手、23年間本当にお疲れ様でした。少しの間は家族とともにゆっくり休み、そしてまたいつか、監督・コーチとしてライオンズに戻って来てください。ファンも、ライオンズもあなたの帰りを待っています。

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監督・コーチの育成にも力を入れる渡辺久信GM

松井稼頭央2軍監督が来季2022年は1軍ヘッドコーチを務めることになった。シーズン終了間際の報道ではチームが最下位に転落したことを受け辻発彦監督が退任し、松井稼頭央1軍監督が誕生するのではとも報じられていたが、これはただの空騒ぎで終わった。

スポーツ紙は来季監督に関してチーム内で二転三転していると下世話な報じ方もしていたが、果たしてそうだろうか。確かに報道陣に情報がリークされることによって人事が覆されるケースもあるわけだが、今回のライオンズの監督人事はそうではないと筆者は感じている。

まず第一に渡辺久信GMの考えがあったはずだ。自身は2軍監督を経て2008年に1軍監督に就任したわけだが、あの時1軍ヘッドコーチを経て1軍監督になっていれば、もっと違っていたかもしれない、という思いもあったのではないだろうか。

同じ監督業であっても、1軍監督と2軍監督とでは求められるものがまったく異なる。2軍監督は確かに勝つことも大切だが、それ以上に求められるのは若い選手を育成し、どんどん1軍に送り込むことだ。一方1軍監督はとにかく勝つことが使命となってくる。

もし渡辺GMが2008年、1軍ヘッドコーチや1軍投手コーチなどを経て1軍監督になっていたら、もう少し余裕を持ち、中長期的視野を持って1軍を率いられたのではないだろうか、という思いは0ではなかったと思う。その経験を踏まえ、渡辺GMはまず、松井稼頭央2軍監督を1軍ヘッドコーチとして起用したのではないだろうか。

流れとしてはもちろん、将来的な辻監督の後任は松井稼頭央ヘッドコーチになるのだと思う。この人事に意外性などは必要なく、ライオンズとしては今、松井稼頭央ヘッドコーチを1軍監督として育成している最中なのだと思う。監督・コーチをしっかりと育てていくというのは渡辺GMの方針の一つで、これはチーム力を長期的に維持していくためには非常に重要な要素だ。

渡辺GMが就任する前のライオンズは、特に投手コーチが長年チームを任されるケースが少なかった。そのためになかなか安定した投手陣を形成することができなかったわけだが、渡辺GM就任後はコーチ陣がそれぞれ責任を持ち、腰を据えて指導ができているように見える。これは渡辺GMが成功させたチーム改革の一つだと言える。

監督候補に続々名前が挙がり始めた東尾チルドレン

今季は松坂大輔投手が引退したわけだが、チームとしては当然松坂投手には2軍投手コーチなどのポストで残ってもらいたかったはずだ。

だが松坂投手は家族思いであると言う。長年大変な思いをさせていた家族と過ごすための時間を求めたのかもしれない。しかし長い現役生活を終えたばかりなのだ。まずはゆっくりと休んでもらいたい。

そして1年ほど外から野球を見た後で、コーチとしてライオンズに戻って来てもらいたい。松坂投手自身はコーチという肩書きに拘りは持っていないようだが、しかし将来的にライオンズの監督としてチームを率いるのであれば、コーチ経験は確かなアドバンテージとなる。

今ライオンズには松井稼頭央ヘッドコーチ、西口文也2軍監督、松坂大輔投手という将来の監督候補たちがいる。3人とも東尾修監督の元で野球を学んだ選手たちだ。野村克也監督の人材育成力には及ばないものの、東尾監督の育成力も目を見張るものがある。

そして辻監督はこれまで、あらゆる名将の元で帝王学を吸収してきた監督だ。怪我人の続出や外国人選手の不調という想定以上のものがなければ、今季だって優勝争いに加わっていたはずだ。現にシーズン開幕直後は怪我人が続出するまで、順調に首位争いを繰り広げていた。

そう考えると辻監督の辞任の可能性はあったとしても、解任前提の人事ではなかったと思う。スポーツ紙が来季の監督人事に関して二転三転していると書いたのは、おそらく自分たちが先走って報道した「辻監督辞任・松井新監督誕生」が完全に外れてしまい、それを正当化させようとした悪あがきだったのではないだろうか。

今も昔も報道は事実だけを伝えているわけではない。多くのケースでは他紙を先行しようと予測報道をしている。そしてその報道によって野球人生を狂わされてしまう選手、監督、コーチもいる。そう考えると報道の自由には時々大きな疑問を抱いてしまう。

とにかく来季以降の陣容は固まった。辻監督と松井ヘッドコーチのコンビに加え、松井ヘッドコーチのサポート役にも回ってくれる平石洋介打撃コーチ。そして2軍を率いるのはチーム内でも最も人望がある人物である西口文也2軍監督。

コーチングスタッフを見るだけでも、来季はワクワクするような野球を見せてくれるような予感がする。今季のリーグ優勝はセパ共に前年の最下位チームだったわけだが、一年後にはライオンズが最下位からリーグ優勝を果たし、念願の日本一を奪回しているのだろう。

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今季は所沢でキャンプインを迎えた松坂大輔投手だったが、二日目に一時チームを離れていた。と言っても何か大きな問題が起こったというわけではなく、昨年手術した患部の確認のためで、元々予定にあった一時離脱だったようだ。

一年前のキャンプイン頃は首の痛みがすでに出始めていたようで、松井稼頭央2軍監督から見ても、見るからに本調子ではなかったようだ。ただ、肩に関してのコンディションは決して悪くはなかったらしい。それだけに昨季の首痛と左手のしびれの症状は残念だったわけだが、しかし一年前の状態と比べると、今はかなり良い状態に戻ってきているようだ。

まだまだ本格的に体を動かせる状態ではないようだが、しかし松坂投手は開幕に合わせて調整をする必要はない選手だ。もちろん開幕からバリバリ投げてくれればそれがベストであるわけだが、松坂投手にその役割は求められていない。

チームが苦しくなる後半戦やローテーションの谷間で出てきて、その苦境を救うというのが、ベテランである松坂投手や内海哲也投手に求められている役割だ。ただ、内海投手に関しては松坂投手の現状とは異なり、本人としては開幕に照準を合わせているように見える。

松坂投手が果たさなければならないあの日の約束

松坂投手は昨年7月に脊椎の内視鏡手術を受けたわけだが、実は筆者は松坂投手がまだメジャーに渡る前から、いつか必ず背中に不調が生じるはずだと野球関係者に言い続けていた。

松坂投手は並進運動を始める際に肩線分を二塁ベース側に傾ける投げ方をしているのだが、その傾け方が背中に大きな負荷がかかる動きになっているのだ。筋肉がまだ柔らかい若いうちは問題なくても、年齢を重ねた時に必ず不調が出るだろうと筆者は言い続けていた。

それが昨年現実となってしまったわけだが、しかし症状は筆者の予想を上回っていた。筆者個人としては背筋痛程度で収まってくれればいいと考えていたのだが、しかし現実は首の痛みと左手のしびれという、簡単には治らない症状を招き脊椎の手術が不可避となってしまった。

松坂投手は今季41歳になるわけだが、しかしファンとしてはやはり、最後にもう一花咲かせてもらいたいというのが本音だ。将来はもちろんコーチ、監督としてライオンズのユニフォームを着続けてくれると思うのだが、しかしその前にファンが求めるのは松坂投手の選手としての復活だ。

体の状態さえ良くなければ、10勝は難しかったとしても、5〜6勝を挙げられるだけの経験値が松坂投手にはある。全盛期のような豪速球を投げることはもうできないが、しかし百戦錬磨の経験値で打たせて取る技術は、恩師である東尾修元監督からも伝授されているはずだ。

慌てる必要はないと思う。交流戦が明けた頃に1軍のマウンドで勇姿を見せる、それくらいのペースで調整してくれれば良いと思う。今一番怖いのは慌ててしまうことによりコンディションが悪化してしまうことで、それだけは絶対に避けたい。

200勝まではあと30勝と決してまだ身近な数字にはなっていないが、しかしユニフォームを着てマウンドに立っている限りはそこを目指してもらいたい。そしてあの日の約束を、東尾元監督のもとに届けてもらいたい!

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渡辺久信GMは松坂大輔投手に関し、春季キャンプは不参加にさせる可能性を示唆した。松坂投手は昨年7月に、首の痛みと左手のしびれを治すための手術を受けており、以来家族がいるアメリカで懸命なリハビリを続けている。

辻発彦監督も「見通しが立たない」と話している通り、今季開幕に間に合う目処はまったく立っていない。そのため渡辺GMも春季キャンプに参加させるために無理に来日させるのではなく、まずはしっかりと治し、投げられる状態になり、コロナウィルスの状況も改善した後で来日させるつもりでいるようだ。

筆者個人としても渡辺GMの考えには賛成だ。仮に松坂投手の年俸が1億円だったとすればそれでは困るわけだが、今季の年俸は推定2000万円で、今年41歳になる年齢を踏まえても無理をさせる必要はない。チームに疲労が見えてきた後半戦に颯爽とカムバックして、チームを救う活躍をピンポイントで見せてくれれば良いと思う。

現状、松坂投手に二桁勝利を求めることはできない。それならば気温も上がった後半戦、もしくは交流戦明けくらいを目処に松坂投手自身の開幕を設定し、まずはシーズン4〜5勝程度を目指すくらいの起用法で十分だと思う。

松坂大輔投手は赤上優人投手の憧れの人

しかしだからと言ってのんびりし過ぎることも許されることではない。松坂投手にはチームに貢献するピッチングをすることだけではなく、百戦錬磨のその経験値を後輩たちに継承してもらうという役割もある。

つまりいつまでもアメリカでリハビリだけをしてもらっていては、マウンドで投げることができないだけではなく、後輩たちにその経験を伝えることもできないということだ。

特に今季のルーキー、育成ドラフト1位の赤上優人投手の憧れの人はまさに松坂大輔投手であり、入寮時には「松坂モデル」のグラブを持参しているほどだ。この投手を育成の星として輝かせるためにも、松坂投手の力添えは不可欠だ。

実はすでに帰国していた松坂大輔投手

この記事を書いている最中、松坂投手に関する最新のニュースが飛び込んできた。なんとアメリカでリハビリ中だと思われていた松坂投手だが、コロナウィルスの状況悪化が本格化し始めたことを踏まえ、飛行機の往来が再び止まる前の2020年の内にすでに来日していたようだ。

そして春季キャンプに関してもB班の春野で参加する形になるらしい。開幕に間に合わなかったとしても、とにかく春季キャンプに参加できる形になったというのは現時点では最良だったと思う。

松坂投手には自身のリハビリを進めながらも、内海哲也投手とともにB班の若手投手たちにその経験値を伝えてあげて欲しい。そしてこの左右両腕の経験値により、ライオンズには再び投手王国と呼ばれるチームになっていって欲しい。

投手王国と呼ばれた黄金時代には渡辺久信投手、工藤公康投手、郭泰源投手、石井丈裕投手、新谷博投手、松沼博久投手などなど、錚々たる先発投手陣の顔ぶれがあり、3連戦3連敗などまずあり得なかった。

辻監督の理想もやはり、ディフェンス力で勝てる野球だと思う。それを実現させるためにも松坂投手の経験値は年俸2000万円以上の価値がある。まだ投げられないのであれば、投げずにチームに貢献することもできる。今松坂投手に求められているのは自身のリハビリとともに、そういう面である筆者は思うのである。

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2006年オフにライオンズのユニフォームを脱ぎ、ボストンへと渡って行った松坂大輔投手が、その年以来、実に14年振りにライオンズに戻って来てくれた。この14年間はまさに紆余曲折だったと言えよう。レッドソックスでは2年目に18勝3敗という驚異的な成績を残したこともあれば、メジャー生活後半は怪我や不振に悩まされた。だが2020年、かつて背番号18を背負っていたレオのエースは16番という新しい番号で、推定年俸も3,000万円という金額でライオンズに戻って来てくれた。

2016年の日本球界復帰時には手を挙げなかった西武球団

筆者個人としては、やはり2016年の時点でライオンズに戻って来て欲しかった。松坂投手自身、どんな金額提示だったとしてもライオンズから声がかかれば戻りたいという意思は持っていたようだ。しかしこの時点の西武球団は松坂投手の選手としての能力に対し懐疑的だったようで、手を挙げることはしなかった。

そこで手を挙げたのが福岡ソフトバンクホークスだったわけだが、ホークスでの1軍登板は僅かに1試合のみで、勝利に貢献することはできなかった。その後森繁和監督、デニー友利コーチという伝手もあり中日ドラゴンズに移籍すると、2018年は6勝4敗という成績を残し、カムバック賞を受賞した。だが翌2019年は握手をした際にファンが腕を引っ張ってしまい、元々不安が残っていた肩を再び痛め、僅か2試合の登板で終えてしまった。そしてその年のオフ、森繁和シニアディレクターとデニーコーチの退団を受け、松坂投手も中日を去ることに決めた。

松坂投手が退団を申し入れた際、中日球団は慰留はしなかったようだ。中日球団としてもチームの若返りを目指し、成績を残せなかったベテランとの再契約はしにくいという状況もあったのだろう。だがそのような流れがあったことで、松坂投手はようやくライオンズに戻って来ることができた。しかしもしライオンズに渡辺久信GMの存在がなければ、松坂投手のライオンズ復帰も実現していたかどうかはわからない。

フロントと選手の間にあった確執がなくなりつつあるライオンズ

今から数年前、球団本部長がまだGM役を務めていた頃の西武球団は、とにかくフロントと選手の間の信頼関係に欠けていた。もうあえて名前を出すことはしないが、現職の前の代と、その前の球団本部長2人は契約更改の度に選手の気持ちを逆撫でするような言葉を発していた。その影響でライオンズの主力たちは続々FAで他球団へと移籍していくことになる。もしまだ彼らが編成部のトップに立っていたら、松坂投手のライオンズ復帰はなかったかもしれない。

だが渡辺久信GMが誕生してからというものの、フロントと選手の間に絆が生まれ始める。就任最初のオフこそ炭谷銀仁朗捕手、浅村栄斗選手がライオンズを去ってしまったが、しかしこの頃はまだ前任者の後遺症が残っている時期だったと言える。しかし渡辺GMが精力的に動き回り、渡辺GMのやり方が色濃く出始めた2019年オフは誰もFAで移籍はせず、さらには「生涯ライオンズ」とも取れるニュアンスで複数年契約をする選手も新たに出てきた。

GMの職責は非常に難しいものだ。活躍した選手の年俸はできる限り上げてあげたいが、しかし球団には予算というものもある。今までの西武球団の総年俸などを鑑みても、2019年オフの年俸総額は決して予算内ではなかったはずだ。だがそこは渡辺GMがオーナー側に直談判を繰り返すことによって、金額を上げてもらうことに成功したのだろう。そして西武グループ全体の好業績も味方していたと思う。

松坂大輔投手投手の西武復帰に合わせて復帰した筆者

「FAで出ていったんだから、その後のことはうちは知りませんよ」というのが、渡辺GMの前任者たちのスタンスだった。そのためFAや海外移籍した選手がライオンズに戻ってくることはなく、工藤公康投手に関しては非常にレアなケースで、その後の目立った出戻りは松井稼頭央選手だったろうか。だが渡辺GMになってからは、ライオンズを出ていった選手たちが続々とコーチとして戻り始めている。松井稼頭央2軍監督だけではなく、豊田清コーチ、小関竜也コーチ、許銘傑コーチ、青木勇人コーチ、杉山賢人コーチなど、黄金時代、もしくは黄金時代終盤の常勝球団だった頃のライオンズを知るコーチたちが続々と戻って来ている。

その流れの一環と言えるのかもしれないが、2020年、ようやく松坂大輔投手もライオンズへと戻って来てくれた。当然だが松坂投手は将来の監督候補となりうる人材だ。そして選手としての経験値は計り知れず、いつか引退した後も当然指導者としてライオンズに残ってもらうことになるのだろう。とは言え、もちろん今はまだ松坂投手は戦力として考えられている。

松坂投手にはプロ入り時の監督、東尾修元監督と交わした1つの約束がある。その約束を果たすまでは簡単に引退することなどはできない。松坂投手は200勝達成の記念ボールを東尾元監督に渡さなければならないのだ。海を渡った時は、この約束はアメリカで果たされるのだろうと思っていたが、どうやら所沢で果たされることになりそうだ。あと30勝。今の松坂投手にとっては3年かけても簡単な数字ではないかもしれないが、しかし少なくともあと4~5年は選手として活躍してもらい、200勝という数字を大きく超えてなお投げ続けてもらいたい。

ところで筆者は以前、2014年まで日刊埼玉西武ライオンズというサイトから発信していたのだが、仕事で海外生活が多くなってしまいライオンズの試合をまったく観れなくなってしまい、他の大のライオンズファンの方にサイトをお譲りしてしまった。しかし松坂投手も戻って来たということで、筆者もまたこの場に戻りたいという気持ちが強くなり、2020年より再び書き始めることにした。6年間の長いブランクとなってしまったが、筆者も松坂投手のようにカムバック賞を読んでくださる皆様から頂けるように、これからまた頑張って書き続けていきたいと思う。